ブロンプトンで行く東海道五十三次の旅7日目もいよいよ大詰め。ゴールの宮宿目指してスピードアップしていきます。
ルート案内「7kmのミドルコース」
鳴海宿から宮宿の間は、約7kmのコースです。
かなり急いでいたので、東海道をトレースしながら走っただけですが、平坦で走りやすいコースです。
見所としては熱田神宮や七里の渡しがありますが、夜だと暗くてよく分かりません。翌日の記事で少し観光しましたので、そちらをご覧ください。
フロントライトがつかない!
自転車のフロントライトはマグライトMiniを使っていたんですが、突然、点灯しなくなったんです。電池を交換してもつかないので、球が切れたようです。しかしこんな時でもマグライトなら交換用の球がついているので安心です。
まず切れた球を取り出します。
その後にライトの後ろ側、電池を入れる部分のフタを取り外します。
付いているバネを取ると、ここに交換用の球が入っているんですよね。マグライトは本当に良くできています。
思わぬトラブルで時間をロスしてしましました。
超特急で宮宿へ向かう
ライトが消えるトラブルを解消したらすぐに出発。ここからはハイペースで移動したため、写真が少ないです。この写真は、宿場を出たら最初に渡る天白川。
笠寺一里塚跡
次に現れるのが笠寺の一里塚跡。現存するものではないようですが、立派な木がありますね。
一里塚を過ぎると笠寺商店街を抜けていきます。
徐々に街中に入ってきた感じがします。
山崎川という小さな川を渡っていきます。あたりは住宅街ですね。
そして久々に国道1号線と合流し、しばらく大きな道を進みます。
パロマの工場が見えてきた辺りで旧東海道は1号線から分岐、住宅街の方に入ってきます。
伝馬町の一里塚跡
あまりにも急いでいたのか、ブレブレになりましたが、ここは伝馬町の一里塚跡。街中ですがそれっぽい木が植えられていました。
宮宿に到着
先ほどの一里塚の近くが宮宿の江戸見附。最初に現れるのが裁断橋という橋のオブジェです。
ここには子どもを戦でなくした母親が架け替えした橋があったらしく、ここの擬宝珠に子を思う母の気持ちが刻まれていたそうです。現在は博物館らしいですね。
この橋の付近が都々逸発祥の地でもあるそうです。橋の奥に石の碑文がありました。
この付近が宮宿の江戸見附跡です。
宿場内を進むと中央分離帯があるので迂回します。前にある商店街へ。
そのまま進むと突き当たりに。そこに、ほうろく地蔵というお地蔵さんが見えてきます。
このほうろく地蔵の反対側に道標がありました。東海道と木曽路の分岐点に立っているそうです。それにしても愛知に入ってから道標をよくみますね。
先ほどの道標から少し行くと国道247号線が現れます。旧東海道はここを横断した向こう側の道です。
国道を横断すると蓬莱軒という鰻屋さんがあります。ここが本陣跡。
お店の裏に本陣跡の立て看板があったのでここで記念撮影。それにしてもこの看板、位置が高過ぎますね。
高い位置にある看板を撮影。この辺りは名古屋の空襲で戦災にあったため何も残っていないようですね。
そして東海道は海へ
そしてここが七里の渡しと呼ばれている船着場。
ここから東海道は桑名まで船で行くルートになります。今日の旅はここで終了。到着時刻は21時40分でした。
宮宿という名だけあって近くに熱田神宮があります。明日の朝、お参りを兼ねて行きたいと思います。
そして急いでホテルへ
最後の方はかなり駆け足になったのには理由がありまして、この日はホテルに宿泊しようと思って予約していたんです。しかも名古屋の中心街なので、急いで自転車を畳んでバス停へ。この時点で22時25分。
ホテルに連絡を入れてチェックインが遅れる旨、伝えたりと大変でした。
宿泊したのは名古屋クラウンホテル。
外観はレトロですが中はキレイにリニューアルされていてでした。しかも天然温泉あり。
とりあえず夜はコンビニでおにぎりを買って食べ、ホテルの洗濯機で衣類を洗濯乾燥。その間にカメラのデータを移し替えたり、お風呂に入ってすっきりしたりして、気づけば爆睡していました。
翌日は熱田神宮に行ってから桑名へ出発です。あとホテルの朝食バイキングで名古屋メシが楽しめるらしいので、それも食べないとw
つづく
“東海道五十三次day8-①宮宿から熱田神宮、桑名宿まで”
“東海道五十三次day7-⑥池鯉鮒宿から鳴海宿まで”
“東海道五十三次day7まとめ・距離・時間・ルート・予算”
“東海道五十三次の旅「日本橋から京都」全行程まとめ!”