亀山を出発して水口までたどり着いたブロンプトン東海道五十三次の旅day10。15:00を過ぎて、今日はどこまで行けるのか考えながら、先へと進みたいと思います。
目次
ルート案内「14kmのロングコース」
水口宿から石部宿までは、14kmもあるロングコースです。
途中で野洲川を渡る以外は、自然の障害が少なく、走りやすいコースだと思います。田んぼと集落が交互にやってくる田舎街道を楽しんでください。
見所は、横田の渡しから眺める野洲川と、天井川を潜るトンネル。水の豊かな近江国を感じられます。
旧東海道の田舎道を進む
水口宿を出ると田園地帯が広がります。田んぼの真ん中に石碑を発見。
このあたりは北脇縄手と言って、田んぼの畦道と美しい松並木があったそうです。今は田んぼも道も整備されたため、なくなっています。この先に現れるのが水口宿の浮世絵の場所です。
水口宿 浮世絵
水口宿の名物だった干瓢を作る女性と飛脚です。宿場外れの長閑な風景ですね。
ちょっと方向は違うのですが、絵と同じような木があったで撮影してみました。前にあるのが柏木小学校です。佐川急便が走ってくれたら面白いのになと思いましたが、そんな都合よくはいかないですね。
再び田舎道を進む
先ほどの浮世絵の場所を過ぎると再び田園地帯と集落を交互に通過します。
集落に入ると木造の古い家が多いですね。街道の風景という感じがします。
田舎道を走って行くと、小さな川を渡る橋へ。この先にあるのが一里塚跡です。
泉一里塚跡
川沿いにあるのが泉一里塚跡。こちらは再現です。
とはいえ、比較的キレイに整備されていますね。ここから少し進むと、再び野洲川です。
横田の渡し跡
ここが横田の渡しと言われる野洲川を渡るポイント。幕府に直轄管理されていて、3月から9月までは舟で、冬季は土橋をかけて通行したそうです。
こちらが横田の渡しの説明看板。
そして滋賀県でよく見る巨大常夜燈です。ここはキレイに成形されている上にデカイ。
ここも万人講の寄進で作ったようです。高さ10m。かなりデカイですね。
こちらが野洲川です。琵琶湖に流れ込む川の中で一番長い川。土山宿から出たところで一度渡っているんですが、その時より川幅が大きくなっています。
野洲川を渡河して旧街道を進む
現在は渡し舟はなく、渡れる橋が横田の渡しから離れたところにありますので迂回します。
写真は、野洲川を渡って旧街道と合流した三雲というところ。このあたりには草津線というJRが走っています。
旧街道をしばらく進むと、JRの遮断機を越えて南側へ。
全体的には下り坂なのですが、このあたりは緩やかなアップダウンがあります。
天井川を潜って進む
さらに進むとトンネルが現れます。こちらは大砂川という天井川をくりぬいたトンネルです。
この地域には天井川(土地より川の方が高い)が多く、交通が遮断されていたので明治期にいくつかのトンネルが作られました。ここもそのひとつです。
このあたりから新しい家が増え始めます。草津線というローカル線が通っているのですが、京都へのアクセスいいため、新しく住む人もいるそうです。
ひたすら旧街道をまっすぐ進みます。この辺りに夏目の一里塚跡があるんですが、わかりませんでした。
そしてこちらは由良谷川という天井川を潜るトンネルです。こちらも明治にできたもの。
このトンネルの脇に道標があります。こちら古そうに見えますが、昭和に作られたもの。川沿いの道がができた時に作られたもののようです。
そして再び田園と集落をつなぐ街道を進みます。
徐々に田んぼよりも住宅の面積がかなり多くなってきました。まもなく石部宿です。
石部宿に到着
そして石部宿に到着。このあたりが江戸見附跡です。
道路脇に見附の説明看板がありました。
宿場の入り口付近にはシャッターの閉まった商店が。車社会なので、お買い物は郊外の大型店に行く人が多いです。
本陣近くの厠で記念撮影。本陣の方は華麗にスルーしてしましました。
そしてこの辺りが石部宿の京方見附です。
時刻は16:30すぎ。京都までは無理かもと思いつつ、行けるところまで行こうと決意して、石部宿を後にしました。
つづく
“東海道五十三次day10-⑥石部宿から草津宿まで”
“東海道五十三次day10-④土山宿から水口宿まで”
“東海道五十三次day10まとめ・距離・時間・ルート・予算”
“東海道五十三次の旅「日本橋から京都」全行程まとめ!”