ブロンプトンで行く東海道五十三次の旅、6日目。少し寝坊したものの、掛川宿を出発してから袋井宿までかなり順調にすすめました。ここから一気にスピードアップしたいところです。
ルート案内「約6kmの丘越えコース」
袋井宿から見附宿の間は小さな丘を越えていく約6kmのコースです。前半はほぼ平地ですがルートの中間地点にある三ヶ野というところに小さな丘があり、後半は緩やかなアップダウンがあります。三ヶ野の丘からは袋井方面が一望できるので、お天気がよければ景色を楽しむことができます。見附宿の直前にある阿多古山一里塚は現存しているのですが、左が崖の上の神社、右が住宅街の中に隠れているので探してみてください。僕は見つけられませんでした。
まずは朝ごはん
袋井宿を出発し、次の見附宿を目指します。前日のたこ焼きから何も食べていなかったので、お腹がペコペコ。自転車を漕いでいると吉野屋が見えたので、ここで朝ごはんをいただくことにしました。ネギ玉牛丼を食べてエネルギー回復です。
吉野家の前が県道413号線。この道をまっすぐ進むと写真のポイントに出て来ます。右に脇道がありますが、そちらが旧東海道です。
木原の一里塚
ここが木原の一里塚跡の記念碑です。現存する一里塚かと思ったら、復元されたもののようです。
説明書きによると、本来の一里塚は60mほど離れたところにあったそうです。作れるところで復元するという手法もあるんですね。
ちなみにもう少し進んだところに、木原の説明書きが書かれていました。この辺りで三方ヶ原の前哨戦となる戦いが行われ、家康は敗走したそうです。さすが街道、戦国時代にも利用されていたんですね。
木原を過ぎると、街道は再び県道413号線に合流します。
しばらく413号線をひたすら西へ進みます。
三ケ野の丘を越える
前に見えるのが国道1号線の高架。ここで東海道は高架横左の路地に入っていき、先に見える緑の小高い丘を目指します。
先ほど見えた丘の方角へ、東海道は続いています。地図には山とか丘とか書いていないのでそんなに高くないのかも。
どんどん丘を登っていきます。そこそこの傾斜があります。
江戸の古道という看板が。矢印の方が旧東海道です。
路面を見ると自転車でも登れそうなので、古道の方を進みます。
山道ってウネウネしている感じですが、ここはまっすぐ直線。珍しいです。
丘を上り切ったところで看板を発見。の地域を三ケ野というようです。どうも三方ヶ原の戦いの前哨戦が、ここでもあったようです。
ここには大日堂というお堂があり、こに陣取った徳川勢と武田勢が戦ったようです。
木がなければ袋井方面が一望できるので、進軍してくる武田勢をこの丘から見ていたんでしょうね。
大日堂から少し進んだところ。この先がこの丘の頂上ですね。
この丘の反対側は緩やかな下り坂で集落が広がっています。その真ん中を通る道を進みます。
両脇にはかなり大きな松が。東海道沿いにあった松の生き残りでしょうか。しばらく小さなアップダウンがつづく道になります。
先ほどの松並木を抜けたところに木の標識が立っていました。
西に見附宿があるよって教えてくれているようです。
そして県道413号線に再び合流。その手前に看板がありますね。旧東海道と行人坂と書かれています。
看板によると、この413号線との合流地点までに登ってきた坂を行人坂と呼ぶそうです。行人が多く住んでいたらしいですね。
遠州鈴ヶ森
先ほどの交差点から少し行くと、なんか微妙に空気の重さを感じる土地があります。看板が見えますね。
遠州鈴ヶ森と書かれています。実はここ、元処刑場でした。
盗賊団のボス日本左衞門の首がここに晒されていたそうです。こういう街道沿いに刑場を設けることで、犯罪抑止効果を狙っていたんでしょう。
先ほどの鈴ヶ森を過ぎたところで県道413号線と分岐。右の細い道が旧東海道になります。
この辺りに一里塚があると地図に書いているので探していたら見つけた石碑。江戸時代には、この先にある見附神社の門がここにあり、東海道とつながる表参道だったそうです。
阿多古山一里塚
この辺りに現存する一里塚があると書かれていたのですが、発見できず。
後から調べたところ、左の崖の上にある神社と右の住宅街の中にあるそうです。さすがに見つけられませんでした。
見附宿に到着
ここが見附宿の江戸見附跡です。看板が出ていますね。
拡大すると木戸跡と書かれていました。ここもカンバン方式で、宿場を再現するパターンです。
宿場町の中は2車線のキレイな道路になっています。道の両端に木戸を意識したモニュメントが作られていました。
宿場内です。見附宿はジュビロでお馴染みの磐田市なんですが、現在の市街地はここから離れたJRの駅近くなので、このあたりは静かな住宅地です。
川が宿場の中に流れています。ここが宿場の中間地点。さらに西に宿場町は広がっています。
この辺りが本陣跡だそうです。ここも看板のようなものが立っているので、ズームで撮影しました。
看板方式で再現していますね。
宿場町を進んでいると突然緑の公園が現れます。小学校という看板が見えます。
そこにあったのは、旧見付小学校の校舎。明治8年に完成した現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎だそうです。
擬洋風建築というのは幕末から明治初期にかけて大工の棟梁が日本の木造建築の技術を用いながらも、外装を洋風または中国風にした建物だそうです。意外なところに貴重な建物が残ってますね。
次に見えてきたのが門。これだけ残しているのも斬新ですが・・・奥にあるのが、いこい茶屋というお店です。
説明書きによると脇本陣の三河屋さんの門だったそうです。別のお宅に移築されていたんですが市に寄付されてここに移築されたそうです。建物にもいろんな運命があるんですね。
この青い建物のところを左折。東海道は南に行くことになります。正面に進むと姫街道という道になるそうです。
看板にも姫街道と出ています。この道は東海道の側道で、幕末ごろ、伊勢参りの女性が多く利用したことからこの名前がついたそうです。
東海道はこの先の浜名湖を渡ったところで関所があって面倒なので、比較的監視の緩いこちらの道を進んだらしいです。
先ほど左折した交差点を少し進んだところです。写真館の看板がある辺りが見附宿の京方見付跡です。
この次はいよいよ天竜川を越えて浜松宿へ!お昼ごはんに「うなぎ」を食べるために自転車を走らせます。
つづく
“東海道五十三次day6-③見附宿から浜松宿まで”
“東海道五十三次day6-①掛川宿から袋井宿まで”
“東海道五十三次day6まとめ・距離・時間・ルート・予算”
“東海道五十三次の旅「日本橋から京都」全行程まとめ!”