ブロンプトンでの東海道五十三次の旅五日目もいよいよ後半。金谷宿を出発し、本日、2つ目の峠・小夜の中山越えに挑みます。だいぶん日が傾きつつあったのですが、今までの峠越えの経験から行けそうだなと判断して向かいました。
目次
ルート案内「7kmの峠越えコース」
金谷宿から日坂宿の間は、小夜の中山という峠を挟んだコースです。ここは峠が二つあると思ってください。ひとつ目は金谷宿を出て間の宿・菊川まで、傾斜が厳しいので要注意です。ふたつ目が間の宿・菊川から日坂宿まで。こちらは路面の状態があんまり良くない箇所があるので、自転車は気をつけてください。
見所は、茶畑が広がる山間部の風景です。夕暮れ時に行ったということもありますが、とても美しかったですよ。
峠へ向かい登りがつづく
金谷宿から、少しずつ上り坂が始まり、金谷宿を出ると傾斜が厳しくなります。後ろを振り返ってみると、そこそこ高いところまで来ましたね。
看板を見ると旧東海道の石畳があるようです。自転車では少し辛い感じがしますね。
かなりの急坂になっていきます。ここで地元のお年寄りから、「いまの時間から峠に行くのは危ないから気をつけろ」と言われました。とはいえ登り切って降りるだけなので、全然間に合うなとこの時は思っていました。
この先を行くと石畳の道なのですが、地図を確認すると茶畑を通る迂回ルートがありそうです。そちらを通ることにしました。ブロンプトンだと石畳は辛いですからね。
茶畑が広がる急斜面を登っていきます。石畳の道を自転車担いで登った方がよかったのかなと少し後悔。
急坂というのは登るのはキツイんですが、速く登れるもんですね。かなり金谷の町が小さくなりました。
坂を登り切ったところです。一面が茶畑の中の一本道を漕ぎだします。
山に「茶」と書かれていますね。お茶推しですw
大きな石碑。ここで明治天皇がご休憩され、富士山を眺められた場所だそうです。
一気に坂を駆け下りる
ようやく旧街道と合流。石畳の道はこんな感じなんですね。
ここから東海道は一気に下り坂へ。
茶畑から集落に入っていきます。
諏訪原城跡という看板が。
この辺りが諏訪原城の跡らしいです。武田氏が築城した城で、のちに徳川家が奪い、東海道と武田を監視する前線基地として活躍したそうです。
立て看板によると、街道を抑える重要な城だったようです。
当時の石垣でしょうか。城をゆっくり見ている暇はないので先を急ぎたいと思います。
菊川坂石畳
さらに東海道の石畳の道があります。この前の道ですね。
拡大してみると、こんな感じの石畳です。
ただ自転車では石畳の道だと厳しいので、その横のアスファルトの道をさらに下ります。
かなりの急坂ですね。
下に集落が見えてきました。あそこまで行けば峠越えも終わり、一気に降っていきます。
ようやく集落に到着。これで峠越えも終了。ちょっと茶畑を登るのがしんどかったなと、この時は思ってました。
間の宿 菊川に到着
ところが、看板を見てびっくり「間の宿・菊川」。地図をここで確認すると小夜の中山はこれからのようです。ここの峠は2段階あるんですね。
間の宿菊川の風景です。ちょっとした道の駅みたいなものもありましたが、この先どうなってるかわからないので立ち寄らず、急いで出発します。
本格的な峠道へ突入
旧街道はこんな石畳の階段なんですが、自転車はアスファルトの道を迂回します。
徐々の傾斜がきつくなる上り坂。
茶畑の中を進みます。風が抜けて気持ちいい。
頂点かと思ったらまた登り。どこまで続くんだ。
さらに登り、これ峠じゃないな。山だな。。だから小夜の中山なんだ。とここで気づきました。
近くの民家のそばに歌碑が。この峠、この後に歌碑がいくつも出てきます。
そしてまだまだ上り坂は続きます。どこまで登るんだ。
茶畑が切れて集落が見えてきます。そろそろ頂上なのかも。
ここで自動販売機を発見。これだけ茶畑を見てるので、静岡のお茶を飲めるかな?と覗いてみました。
掛川茶・・・売り切れ。その横は綾鷹ですね。
この辺りもいろんなお店があったようです。カンバン方式で昔を再現しています。
こちらのお宅は昔、富士見屋さんだったようです。どんな商売をしていたんでしょうね。
小夜の中山頂上に到着
頂上に到着すると最初に目にするのが、小夜の中山名物、子育飴屋さん。ですが閉まってました。本当にこの旅は名物と縁がないです。
小夜の中山の頂上はちょっとした公園になっていました。正面に立っているのは、西行さんの歌碑だそうです。
西行さんの歌の解説が近くに書かれていました。どうもこの中山には歌碑がいくつかあるようです。
峠を一気に降る
ここからは一気に下り坂です。
もう太陽が沈もうとしていますね。山の中で真っ暗になるとヤバイと思い、スピードアップしました。
こんな感じの歌碑がポツポツと立っています。写真だけ抑えて先へ進みます。
再び歌碑。この峠は歌推しです。
佐夜鹿一里塚
坂の途中にあるのが、佐夜鹿一里塚の跡です。木製の碑文があり、周りは少し整備された小さな園でした。
しばらく進むと、またまた歌碑。ただ石のベンチがあるので風景も楽しめそうです。
昔、ここには松尾芭蕉が涼んだ松があったようですね。
浮世絵 日坂宿
日坂宿の手前、小夜の中山ヘ向かう街道の絵です。真ん中にある大きな石が夜泣き石と呼ばれていた石。現在は別の場所に移設されているらしく、ここにはありません。
現在の風景はこちら。この辺りGPSがうまく機能しなかったので、とりあえずそれっぽいところで撮影しました。
峠越えラストスパート
だいぶん暗くなってきたし、街灯もないので、とりあえず街まで急いで降っていきます。
一応アスファルトで舗装はされているんですが、ちょいちょい欠けていたり、砂が溜まっていたりするので、注意しながら進みます。一回後輪が滑りかけましたが、そこはバイク時代のケツの感覚で転倒を回避しました。
ようやく目の前に集落が見えてきました。間もなく日坂宿です。
日坂宿に到着
峠の下り坂がひと段落したところ。この道の向こうが日坂宿の江戸見附。
常夜灯が旅人を迎え入れてくれます。日坂は大火にも見舞われることがあったため、秋葉信仰が盛んだったそうです。
この大きな看板があるところが本陣跡。芝生の公園になっています。
日坂宿も看板方式で昔の宿場の雰囲気を再現。ただここは古い建物も残っているので、宿場町の雰囲気があります。
ここは脇本陣、黒田屋さん。という風に看板で宿場の位置がわかります。
こちらが地図では、藤文と書かれていた建物です。問屋役を務めた伊藤文七郎さんのお宅だそうです。
この建物は江戸末期に建てられたそうで、日本で最初の郵便局のひとつでもあるそうですよ。長く地元に貢献してきた建物なんですね。
川坂屋さん。武士や公家が宿泊する格の高い旅籠だったそうです。
そして日坂の出口付近には高札場が。こちらに法令などが書かれていたんでしょうね。
この辺りが日坂宿の京方見附の跡。看板には下木戸跡と書かれていますね。
街灯に明かりがつきました。次の掛川宿が東海道五十三次の旅5日目のゴールになりそうです。
つづく
“東海道五十三次day5-⑦日坂宿から掛川宿まで”
“東海道五十三次day5-⑤島田宿から金谷宿まで”
“東海道五十三次day5まとめ・距離・時間・ルート・予算”
“東海道五十三次の旅「日本橋から京都」全行程まとめ!”