大磯宿を出た頃にはかなり日が傾いてきたブロンプトン東海道五十三次の旅2日目。真っ暗になる前には小田原に到着したいと思いつつ、折り畳み自転車ブロンプトンに乗って先へと進みます。
目次
ルート案内「16kmのアップダウンがあるコース」
大磯宿から小田原宿の間は、二つの小さな丘越えがあるコースです。
アップダウンはそれほど激しくないので、ブロンプトンでも普通に走行できます。距離が16kmと長く、国道1号線から左右の側道に入ることも多いため、横断するときは十分に気をつけてください。
おすすめの見所は、酒匂川沿いから眺める富士山です。酒匂川では天気がいいと眺める位置を調整するだけでダイヤモンド富士が見られるそうです。
国道1号線は上り坂へ
ほぼ平地を進んでいたので、このまま海岸線をまっすぐかなと思っていたのですが、ここからは、多少のアップダウンがあります。写真は東海道松並木という歩道橋。両脇に松並木がある東海道らしい道を登っていきます。
大物政治家の別荘
左手に大きなセミナーハウスみたいな建物が出てきました。
滄浪閣という建物らしいです。
どうも伊藤博文のお屋敷跡のようでした。
後から調べたのですが、大磯には伊藤博文、西園寺公望、大隈重信など明治の元老たちが別荘を構えていたそうです。伊藤博文も最初は別荘として住み、のちに本邸にしたそうです。ここに住んでいた時の博文は、農夫や漁夫に気さくに話しかけたり、地元の祭ではお酒を振舞ったりしていて、地域とコミュニケーションをとっていたそうです。元は下級武士出身ですから、昔を懐かしんでいたのかもしれません。
横にあった石板をズームして撮りましたが、よくわかりませんwすみません。
ちなみのここの建物は、大磯プリンスホテルの別邸になっていたそうですが、現在は大磯市の管理する建物になっているそうです。
山を切り通して道ができています。
次に現れたのが昭和の宰相、吉田茂邸です。政治家の別荘が多いんですね。大磯は・・・
ちょっと中を見てみようかと思って街道から離れてみましたが、入るのが大変そうなので、引き返して東海道のルートに戻ります。
先ほどの切り通しを抜けたところから再スタート。ここで国道1号線と分岐し右の旧道へ。
切通しまでが登りだったので、ここからは下り坂が続きます。
豪華別荘地から少し落ち着いた住宅街になります。ただ、どの家も大きい。
国府本郷の一里塚跡
住宅街を抜けたところに、一里塚跡があります。江戸から17里とのこと。結構、遠くまで来ましたね。
国道1号線と側道を進む
一里塚前の道です。だいぶん道幅も狭くなり、先が通行止めになっている気が。
ここで国道1号線と合流なんですが、道路の真ん中にポールが立っています。一瞬、東海道がなくなったかと思いました。
この辺りはずっと平地。国道1号線をひたすらまっすぐに進みます。
国道1号線から右に分かれている細い道が、旧東海道。そちらへ進みます。
しばらく住宅街を進むと、国道1号線に再び合流です。
合流地点にお地蔵さまが。軽く旅の無事をお祈りして、先を急ぎます。
国道1号線を少し進むと、旧街道は左へ分岐します。
押切坂の一里塚跡
その分岐のところに一里塚がありました。碑文が設置されています。
間の宿 二宮
そしてこの一里塚のあたりが二宮。宿場と宿場の間にある間の宿(あいのしゅく)と呼ばれるところです。写真は、本陣跡です。
そして再び国道1号線と合流。この間の宿を避けて国道が造られたんでしょうね。
中村川という川です。ここで久々に海が見えました。
ずっと海沿いを走っているはずなんですが海が見えるポイントが少ないです。
小田原市に突入
川を渡ると、本日のゴール小田原市に突入です。
よっしゃもう少しでゴールと思いましたが、間の宿を出たところだったため、まだ距離があることを思い出しました。地図を確認して、気を引き締めて先へと進みます。ここから上り坂が始まります。
磯の香りがする上り坂を進んでいきます。建物の隙間から海がチラチラと見えます。
下り坂に入ると海が見える街道に。こういう東海道という景色を眺めながら走れるのは最高です。
国道1号線の標識。その向こうに箱根の山々がかすかに見え始めました。
マンションの間に大きな山が見えます。
拡大すると、なんと富士山。権太坂以来の再開です。
高い建物がなくなると夕暮れに照らされた富士山が一望に。
このあたりは松並木が続く街道。夕暮れの空になってきたので、先へと進みます。
小八幡の一里塚
道路脇に一里塚跡を発見。左右に一里塚があったそうですが、現在はこの看板のみです。
そして再び国道1号線をひたすら進みます。
浮世絵 小田原宿
酒匂川に到着。この川を渡ると小田原市街なんですが、ここに浮世絵のモデルになった場所があるので、そこへ向かいます。
ここの浮世絵は、酒匂川を渡る人たち、そして小田原の街と箱根の山々ですね。
現在ではこんな感じの風景です。
ここで富士山の写真を撮ってる人がいたので、少しお話を聞いてみると、さっきまで沈む太陽と富士山が重なり合うダイヤモンド富士が撮れたそうです。
この川沿いは天気がいいとダイヤモンド富士が毎日撮影できるらしく、少しずつ位置をずらして撮影しているので、季節の移り変わりもわかるそうです。
東京にいると自然や天体の動きに興味を持つことがほとんどないので、なかなか興味深いお話でした。
酒匂川を越え、小田原の市街地へ
あたりが暗くなってきたので、ゴールへと急ぎます。これは酒匂川を渡河中の一枚。
川を渡ると国道1号線から少し左へ曲がって元の道へ戻るルートがありますが、先を急ぐために飛ばしました。
新田義貞の首塚
先を急ぎたいと思っているのに、興味を引く看板を発見。新田義貞の首塚だそうです。
鎌倉幕府を滅ぼし、南朝を支えた新田義貞でしたが、北陸で討死にしたあと晒し首にされていたそうです。それを部下が奪い返し、故郷に埋めようと旅をしていたがここで病にかかり、埋葬することにしたそうです。北陸で倒されたことは知っていましたが、こんなところに首塚があるんですね。京都にも新田義貞の首塚があったような気もしますが・・・
植木もしっかりキレイに刈られています。
たくさん碑文があるので、どれが首塚かわからなかったのですが、英勇に一礼をし、その場を去りました。
義貞公に別れを告げたあと、再び街道沿いの道に戻ります。あたりはかなり暗くなってきました。
小田原宿に到着
小田原宿の江戸見附跡に到着。ついに本日のゴールに着きました。
この見附の近くには一里塚もあったそうです。
新宿という交差点を右に曲がります。
そしてすぐ90度右へ曲がります。城下町特有のクランクですね。かまぼこ屋さんが両サイドに並ぶ道なのですがすべて閉まってました。閉店するの早い。
そして本陣跡に到着。上の小田原空襲の看板の方が目立っている気がしますが・・・・
そして本陣前で記念撮影。ちょっとカメラの設定を失敗しまして、ピンボケです。デジタルなのに・・・・
少し夜の小田原の街を撮影してみました。本陣周辺は小田原城にも近く観光地化さらているので、少し風情を感じる街並みになっています。
晩御飯を食べるところがない!
今日の宿はゲストハウスを予約していたので大丈夫なんですが、食事は出ないのでどこかお店を探さなければなりません。けれど、行くところ行くところ準備中の看板が・・・閉まるの早すぎる。
ようやく見つけた手打ちそば屋さん「砥部」で晩御飯に。
お蕎麦と天丼のセットです。お蕎麦を撮り忘れましたが、すごく美味しかったです。
お隣にいた常連さんご夫婦に柏餅とお菓子をいただきました。
おじさんの方が、若い者がふらふらしてとか言って絡んでくるんです。話を聞いてみると、どうもそのおじさんも若い頃、自転車で東京まで行ったことがあるらしく、その話をしたかったようです。大将やおかみさん、常連さんたちに、頑張れよ!と励まされて、お店を後にしました。
宿泊はゲストハウスに
小田原は東京から近く、大きなお城もあるため、外国人観光客が多いそうです。そんな外国人が多く利用するゲストハウスに今回は宿泊しました。僕の他にも旅をしている人たちがいたので、いろんな情報交換をして楽しい一夜を過ごせましたよ。ただすごく疲れていたし、次の日は箱根越え。明日に備えて、早めに眠りました。
つづく
“東海道五十三次day3-①小田原宿から箱根宿まで”
“東海道五十三次day2-④平塚宿から大磯宿まで”
“東海道五十三次day2まとめ・距離・時間・ルート・予算”
“東海道五十三次の旅「日本橋から京都」全行程まとめ!”