藤沢宿にお昼すぎに到着した折り畳み自転車ブロンプトンの旅。軽くご飯を食べて休憩することなく、すぐに出発です。
目次
ルート案内「14kmのロングコース」
藤沢宿から平塚宿の間はアップダウンがあるもののフラットなコースです。ただ距離が約14kmありますので、それなりに疲れます。道は国道1号線を進むことが多く、交通量が多いので注意。史跡の見所は、片側が現存している茅ヶ崎一里塚と、旧相模川橋脚跡です。特に橋脚跡は日本の中世にこんなデカイ橋かけてたのかと、少し感動します。
藤沢の本陣あと?をスタート
おそらく地図ではこの辺りが藤沢宿の本陣なのですが、特に目立つ目印がありませんでした。場所間違えたのかな・・・
藤沢の街を通り過ぎると、再び住宅街です。
お天気も最高にいい。青空が広がっていて、少し暑いくらいでした。
道沿いに墓石屋さんがあったんですが、思わず立ち止まってしまいました。
なんせいろんなキャラクターの墓石があるんすよ。アンパンマンにバイキンマン。
暗黒面に落ちたメロンパンダ、ドキンちゃん、そしてジャムおじさんw他にもいろんなキャラクターがいたので、ここを通る方は一度ご覧になってはいかがでしょうか。
そして街道沿いは落ちついた街並みに。藤沢を出てからずっと平地なので、快調に進めます。
住宅街の道から国道1号線に合流です。
四ツ谷一里塚&立場跡
道路の向かい側に四ツ谷一里塚跡の記念碑がありました。
藤沢宿と平塚宿の間は14kmくらいあるため、立場と呼ばれる休憩所が3箇所ありました。1つ目がこの一里塚を過ぎたところにあった四ツ谷立場。ただ今回の旅では記念碑等を発見できませんでした。
国道1号線を進む
大山街道入口という交差点前です。左右に松林があり、ようやく街道っぽい道がきました。
江戸時代から続く松並木なんでしょうか。しばらくこういう道が続きます。
松林が終わると、再び普通の住宅街を走る道になります。
牡丹餅が有名だった菱沼立場跡
反対車線を撮影。牡丹茶屋と書かれた看板があるんですが、ここが菱沼立場の跡です。藤沢宿と平塚宿の間にある2つ目の立場で牡丹餅が有名だったため、牡丹茶屋と呼ばれていたそうです。
そのまま平地を進む
菱沼歩道橋の前。この辺りは緩やかなアップダウンはあるものの比較的平らな道なので、走りやすいです。
松原中学校入り口というところ。両サイドに松並木があり、街道という感じの道です。
茅ヶ崎一里塚の跡
交差点が一里塚というズバリそのもの名前ですね。ここが茅ヶ崎一里塚のあった場所です。
ここの一里塚は、片方だけ現存しています。石垣で覆われている部分が一里塚です。
茅ヶ崎一里塚の簡単な概要が書かれた石碑があり、そこに松の木が植えられています。
南湖立場と左富士が見えた場所
南湖入口というところです。周りに湖はなく、埋め立てられたようです。
道沿いにあったアメリカンな住宅展示場。茅ヶ崎、湘南という地域らしい感じがしますね。
南湖一丁目。このあたりに3つ目の立場、南湖立場があったそうなんですが、特に目印はなかったです。
この辺りは自転車道が色分けされていて、非常に走りやすかったです。
千の川という小さな川を渡ります。この橋を渡った向こう側に記念碑がありました。
南湖の左富士。という記念碑です。
やはりこの辺りには南湖という湖があったみたいですね。
京都方面へ向かう人々にとって、だいたい富士山は街道から右側に見えるのですが、このあたりは街道の左側に富士山を見ながら進めるため有名だったようです。
ただこの日、ここでは富士山が見えませんでした。天気はよかったのですが。
安倍晴明が水を飲んだ神社
この場所から少し違うところを見ると、大きな鳥居が。鶴嶺八幡宮の大鳥居らしいです。源義頼義が関東進出のおりに創建したのがはじまりらしいです。源氏にとっては重要な神社なんでしょうか。
この近くでもう一つ神社がありました。小さいのですが、何か引かれるものがあったので、立ち止まってみました。
看板によると神明大神というところらしいです。陰陽師でお馴染み安倍晴明が東国を訪れた際、ここから湧き出る水を飲んだそうです。
僕も飲んでもみようと思ったんですが、晴明井戸と書かれた記念碑が立っているだけで、いまはないようでした。残念。
まだまだ小田原への道半ば。先へと急ぎます。
中世の相模川に大橋が!橋脚の遺跡
道を進んでいると、また気になるものが。旧相模川橋脚とあります。ちょっと気になるので寄り道してみました。
小さな池にでかい丸太が突き刺さっています。どうもこれが橋脚の後らしいです。
発掘調査と保存の概要が書かれた看板がありました。
1920年代に地震によって田んぼからでっかいヒノキの柱が隆起して現れたそうです。吾妻鏡に書かれている相模川の橋脚らしく、当時の日本ではかなり大きな橋だったようです。現在の相模川はもう少し西側を流れていますが、中世の相模川はこの辺りを流れていたんですね。
地元の人たちの保存の努力もあって現在も残っているそうです。地域の人々の心意気で、歴史遺産は残るんだなと思いました。
漢字ばっかでよくわかりませんでしたが、近くにあった何かの記念碑。
耕地整備の記念碑。やはり昔、この辺りは田んぼだったんだなというのが、この記念碑でわかります。
先ほどの橋脚の横にある小出川。これが昔は大きな相模川だったんでしょうね。
相模川を渡る
川を渡るとバイク屋通りに。今はブロンプトンですが、ちょっと前までアメリカンに乗ってたのでハレーほしいな!と思って眺めていました。
行政区が変わったのか、自転車道はなくなり普通の道へ。ただ交通量は変わらず多めです。
いよいよ」平塚市へ、登りになっているのは、この先にある相模川を渡る橋になるからです。
そして相模川を横断します!この橋は馬入橋という名前で、昔、源頼朝が馬で橋を渡るときに落っこちたらしく、それ以来、そういう名前がついたとのこと。さっきの橋脚遺跡はもしかすると頼朝が渡った橋だったかもしれませんね。
馬入一里塚跡
相模川を渡ったところで東海道は国道1号線と分岐。この分岐するところにあるのが、馬入一里塚です。
説明看板はまあ普通の内容ですが、棒一本だけ刺してある一里塚跡も見てきたので、ここはちゃんとしてるなと思いました。
そして平塚市街へ
そして高いビルが現れてきました。平塚市内へ入ります。
そして平塚駅前へ。平塚って結構栄えてるんですね。意外でした。
平塚宿に到着
平塚駅前を過ぎたところから平塚宿になります。この看板付近が平塚宿の入り口。見附町というわかりやすい町名がついています。
こういう見附を再現した記念碑が立っています。ブロンプトンと一緒に記念撮影。
めっちゃくちゃデカイ木を発見!
平塚小学校があった場所の木らしいです。樹齢80年ほどらしいので、江戸時代にはない木でした。
この神奈川銀行前がちょうど本陣後です。
銀行のシャッター前に記念碑が。その他は本陣らしきものはありませんでした。
本陣を撮ったあとに先へ進もうとすると、東海道はさらに細い道へと分岐します。
浮世絵 平塚宿
旧道の細い道を抜けると再び国道1号線と合流です。そしてここが浮世絵のモデルになったところだそうです。
現在では道も曲がりくねっておらず。面影はありません。ただここが平塚宿の見附があった場所なんです。
平塚宿の京方の見附跡です。平塚宿は比較的ちゃんと整備されていますね。
デカイ石碑があるので、記念撮影するならここです。
小田原までの道のりもここでようやく半分。日も傾き始めたので、ここからさらにスピードアップして進んでいきます。次は大磯宿へ。
つづく
“東海道五十三次day2-④平塚宿から大磯宿まで”
“東海道五十三次day2-②戸塚宿から藤沢宿まで”
“東海道五十三次day2まとめ・距離・時間・ルート・予算”
“東海道五十三次の旅「日本橋から京都」全行程まとめ!”