鈴鹿峠を越えて草津宿までやってきたブロンプトン東海道五十三次の旅day10。
進むペースも落ちてきたので、次の大津宿でゴールにしたいと思います。
目次
ルート案内「14kmの瀬田川越えコース」
草津宿から大津宿の間は、14kmもあるロングコースです。
草津宿を出発してしばらくは平地ですが、旧東海道は琵琶湖から離れた内陸を通っているので、瀬田の唐橋まではアップダウンが続く道になります。瀬田の唐橋を越えると平地にはなるのですが、膳所上の城下町になり、クランク上の曲がり角が続きます。距離が長く、スピードが出しにくい道ですので、はじめて行かれる方は注意してください。
見所は、瀬田の唐橋から見る琵琶湖の風景です。特に夕暮れ時は美しいですよ。
浮世絵 草津宿
草津宿を出ていきなり現れるのが草津宿の浮世絵のモデル。前回のブログで食べた「うばかもち屋さん」です。当時は草津宿の南でお店を開いていました。
現在はこちらの瓢泉堂さんというお店になっているあたりだそうです。こちらは瓢箪を売ってるお店ですね。
またここには矢倉立場という休憩所があり、ここから西の琵琶湖側に進むと矢橋という港がありました。大きな荷物は東海道ではなく、船を使って大津に向かったそうです。
旧街道を進む
浮世絵の土地からはひたすら旧街道を進みます。ここは矢倉南交差点。目の前の国道1号線を横断して、旧東海道は続いています。
こちらが矢倉南交差点を渡ったところ。左が旧東海道です。
野路一里塚跡
矢倉南の交差点から少し進んだところにあるのが、野路一里塚跡。赤い字で目立つ看板ですね。
説明文はほぼ消えてます。
アップダウンのある旧街道
このあたりの道は新しい宅地、旧来の街道、新しい道が再開発でごちゃごちゃしてます。正面の細い道が旧東海道です。
JRの駅の方は栄えているのですが、この旧街道沿いは旧来の家と昭和の宅地開発でできた家が多いです。ここは旧来の大きなお屋敷が並ぶところ。
事故も多いのでこういう障害物を置いたりしています。
このあたりは平地だと思っていましたが、旧東海道は少し琵琶湖から離れているので、細かなアップダウンがあります。
ただ道はキレイなので走りやすいですね。
この辺りは瀬田の一里山という地域。昭和にできた新興住宅地です。幼少の頃、祖父の家がここから少し離れたところにありました。
月輪池一里塚の跡
住宅街のど真ん中、このあたりに一里塚があったと言われている場所です。池というだけあって、ここの裏はため池です。
唐橋に向けて南進
一里塚から少し行ったところ。ここに住んでる人が作ったであろう道標があります。旧東海道脇にあって、昔から気になってましたw
住宅街の中を通る旧街道をひたすら進みます。
登ったり降りたり、アップダウンがあるんですよね。
かつてはお店だったであろうところで右折。急にクランク状に東海道が曲がります。
しばらくまっすぐ進んだのちに、
再びこちらで右に曲がります。この地域には何かあったんろうかと、気になりますね。
アップダウンを繰り返し何の変哲もない町を抜けていきます。
正面に「タバコ、宝くじ、ぶつだん」という謎の三点セットの看板が見えたら、そこを左折。大きな幹線道路に出ます。
幹線道路を少し進んでこちらを右折。その先が有名な瀬田の唐橋です。
瀬田の唐橋を渡る
こちらが瀬田の唐橋。
1300年ほど前からあると言われている橋です。調査では、昔は少し南にかけられていたようです。交通の要所なので、戦乱のたびに焼かれ、そして再建されてきました。現在の位置に橋がかけられたのは豊臣秀吉の時代と言われています。
ここは夕暮れの景色がキレイで、近江八景「瀬田の夕照」として有名です。
瀬田の唐橋を渡ります。ここからは地元のため、地図を見なくてもトーレースできたため、すべてGoproの切り出し画像で見にくいです。すみません!
改めて、写真を撮りたいです。
橋を渡ったところです。ここを直進します。
鳥居川の交差点を右折。ここから東海道は琵琶湖に沿って北西へ。石山駅前の商店街に向かいます。
石山駅前商店街。前方にJR在来線の高架がありますのでそこを潜ります。
左がルネサスや日本電気硝子の工場、右が粟津中学校、正面の松が祖父の話によると東海道の松並木の生き残りだそうです。
膳所城の城下町へ
正面にクランク状の路地が現れます。ここに膳所城の城門があり、城下町の入り口でもありました。
典型的な城下町のクランク、右に曲がったあと、すぐに左に曲がります。
こちらもすぐに右折。カクカクと路地を曲がってきます。
前に奥村歯科という看板があります。こちらを左に。
正面の音羽軒さんのところで右折。
こちらが膳所本町というお城の真正面の街。右に曲がると湖面に浮かぶ城だった膳所城跡になりますが、東海道はこのまま正面の道を直進です。
少し進むと次は左へ。現在はそのまま直進できる道もありますが、江戸時代以前はこの先が琵琶湖でした。
そして正面がお寺なんですが、ここもクランク。右へ。
すぐに左へ。このあたりにも膳所城の城門がありました。
この写真は左に曲がっているところ、次で最後のクランク。
そしてこれが最後のクランク。ここを右に曲がります。
城下町の道が有名なところは他にもありますが、膳所城の城下町は防衛用のクランクがそのまま残ってます。結構不便なので地元民しか通りませんが、東海道を走る旅をされる方は、ぜひこのクネクネを体験してください。
松尾芭蕉の墓
左にあるのが義仲寺というお寺です。木曾義仲と松尾芭蕉のお墓があります。翌日、明るい時間帯に写真を撮ったので、そちらで解説します。
大津宿に到着
義仲寺から少し行ったところです。前が京阪電車の線路。この辺りは石場というところで、大津宿の江戸見附があったそうです。この旅で、はじめて知りました。
このあたりに石場の一里塚があったそうなんですが、何にもないです。というか一里塚があったことも知りませんでした。
一里塚をすぎたところ。二股に道が分かれますが、左が旧東海道です。
しばらく行くと大津の中心街へ。ここは本当に県庁所在地なんかーい!と地元民でも言いたくなるほど、何にもありません。
京都まで20分、大阪まで40分で行けるので、今は完全なベットタウンです。
しばらく進むと、京阪電車が路面を走る道路に出ます。ここを逢坂山の方へ登っていきます。
少し進むと、滋賀県の労働局にたどり着きます。ここが本陣跡です。
本陣跡で記念撮影。
時刻は19:30前。頑張れば京都に行けたんですが、なんとこの道中で母と遭遇!
「こんなところで何をしているんだ?その自転車はなんだ?まさか東京から自転車で帰ってきたのか?」などなど質問攻めに会い・・・ということで、予備日も含めてあと3日休みをとっていたので、この日の旅はここで終わることにしました。
東海道五十三次の旅のゴールは、翌日に持ち越しです。
つづく
“東海道五十三次day11-大津宿から京師・三条まで”
“東海道五十三次day10-⑥石部宿から草津宿まで”
“東海道五十三次day10まとめ・距離・時間・ルート・予算”
“東海道五十三次の旅「日本橋から京都」全行程まとめ!”