軽く日本橋周辺の観光を終えたので、いよいブロンプトン東海道五十三次の旅、出発です。お天気も快晴!最高にいいスタート日和です。
目次
ルート案内「8kmのフラットな道」
日本橋から品川宿までのルートは、銀座や新橋、品川など、東京の大きな街を通る約8kmの道のりです。品川駅周辺が少し高台になっていますが、そこ以外はフラットなので快適に進めます。大きな幹線道路でもある国道15号線を通るため交通量は多めですが、自転車の走路表示がされているので無茶をしなければ安全な走行が可能。東京の多彩な街を眺めながら、点在する史跡を巡ることができる初心者にもおすすめのコースです。
日本橋をスタート!国道15号線を進む
日本橋の橋の上、道路元標の横からスタートします。ちなみに、旧東海道は国道1号線ではなく、ここでは国道15号線です。
すぐに日本橋の交差点です。大きな商業施設が集まり、ビジネス街でもあります。最近、わが故郷・滋賀県のアンテナショップもできました。
この辺りは自転車の走路を指定してあり、また道幅も広いので走りやすいです。
そして高級クラブでお馴染み(行ったことないですがw)銀座です。銀座は高級ブランドのお店が並ぶだけでなく、大きな商業施設もあります。日本橋は年齢層高めの街ですが、銀座周辺は働く社会人向けのお店も多いです。
銀座といえばこの時計台ですよね。和光という会社の建物で、セイコーの前身、服部時計店の小売部門が独立してできた会社だそうです。前はよく通るんですが中に入ったことないんですよね。
日本一地価が高い!とニュースに出る鳩居堂も銀座にあります。書道道具などを売っているお店で創業地は京都だそうです。ここもご縁がないお店ですね。
新橋をすぎるとビジネス一色
銀座を過ぎるとすぐ新橋。よくサラリーマンがインタビューされているところの裏側です。こちらは地下や上の高架を多くの人が行き来するので、地上を歩く人は少な目です。ちなみに前にある古い新橋ビルの中に、焼きビーフン屋さんがあり、かなり美味しいです。
新橋のすぐ東側が汐留。日本テレビや電通などの大きなビルがあります。ああいうところで働いてみたい人生でした。
大門周辺です。完全にオシャレさはなくなり、ビジネス街になっていきます。
ビルの隙間からチラリと見える東京タワーです。ちなみに朝鮮戦争でぶっ壊れた戦車を溶かしてできた鉄も使われているらしいです。
日本橋から久々の橋。この後、大量の橋を渡るので珍しくもなくなりましたが、この時は写真を撮ってしまいました。
芝というところです。ここで大きく右に街道が曲がります。
江戸開城会談の記念碑
三菱自動車ビルの前に、碑文がありました。幕末の戊辰戦争の時に、ここで幕府代表の勝海舟と官軍代表の西郷隆盛が会談し、江戸開城が決まったそうです。長州征伐の時といい、負け戦の交渉ごとは常に勝海舟なんですがなんでなんでしょうね。そういう損な役回りの人だったんでしょうか。
高輪大木戸跡
さらに進むと高輪ゲートウェイで話題となった高輪です。ここに大木戸という交差点があります。江戸の入り口にあった大きな木の扉があったところです。
パッと見て街路樹にしか見えませんが、これが大木戸の跡です。
こんな感じの石垣で作られていたんでしょうか。
大木戸についての解説文です。夜間はこの大木戸を閉じて治安維持をしていたそうです。当時の江戸は100万人を超える大都市ですから、相当いろんな事件もあったんでしょうね。
そして品川駅へ
大木戸を過ぎると再びビジネス街へ。そして少しずつですが上り坂になります。品川駅周辺は少し高台になっているんです。
引き続き上り坂です。左手にJRの架線が見えてきました。品川駅まであと少し。
品川駅到着です。新幹線の方はキレイなんですが京急側はこういう昭和レトロな建物です。
駅前にあった記念碑です。昔の運賃が彫られてました。
ここでお昼ご飯です。品川駅すぎの高架下にある品川ラーメンストリートでお昼ご飯を食べました。店の名前は忘れましたがエビ味噌ラーメンだったと思います。めっちゃ美味しかったです。
国道15号線から別れ、旧道へ
ラーメンストリートから少し行ったところです。このあたりで国道15号線とは別れ、旧街道に入ります。品川といえばシンゴジラで壊される京急!他の鉄道会社は破壊されるシーンの許可をなかなか出してくれないらしいんです。京急は懐が深いですね。
この京急の遮断機のそばに、ちょっと宿場風を再現した建物があります。この先が品川宿です。
浮世絵 品川 日之出
当時の品川には港もあり、江戸に最も近い宿場として規模も大きかったそうです。海に浮かぶ船と街道、そして大名行列の最後尾が描かれています。
この先に宿場町があったので、角度的にはこういう感じの撮影になりました。海も何にも見えません。浮世絵は結構デフォルメされていたり、広重が想像で書いていたりもするので、元の風景がないところもあるんですよね・・・
品川宿の入口に到着
ここが品川宿の入口です。ここからは商店街になっています。
土蔵相模跡
ファミリーマートの前に立て札があったので一枚撮影。ここが土蔵相模という妓楼。まあ、おねーちゃんがいるお宿の跡ですね。
このお宿で有名なのは高杉晋作が首謀者として起こした英国大使館焼き討ち事件です。この宿で密談したあと、近くの御殿山に建設していた英国大使館を焼き討ちして、攘夷を実行したそうです。いまの価値観からするとただのテロ事件なんですけどね。けれど、この男が火付け役にならなければ、明治維新がなかったことも確かです。
台場横町の立て札
オンボロになっていてわかりませんが、台場横丁の由来が書かれています。ペリーが来航して以来、幕府はあちらこちらに砲台を作ります。フジテレビでお馴染みのお台場もそのひとつ。ここはお台場への通り道であったため、台場横町という名前がついたそうです。
少し先に行くと品川宿の記念碑が建っていますが、ここは特に何かがあった場所ではないようです。立て札は消えかけていましたが、品川宿のざっくりとした説明だけでした。
現在の品川宿の街並み
これからいくつもの宿場町が出てきますが、江戸以降も発展した町はだいたい商店街になっています。また人々の往来の中心であり続けられた東海道は、周りに商店や会社が立ち並ぶんことが多いです。この品川宿も同じように商店街として現在も栄えています。
本陣跡
ここが本陣の跡です。現在は公園になっています。それにしてもこの町は自転車がたくさん停まってますね。車が通りにくい道ですから、自転車がメインの交通手段になっているようです。
説明書きが書かれている立て札なんですが木はやめたほうがいいですね。だいたい消えて見えなくなることが多いです。
ここが宿場の真ん中 品川橋
品川宿は縦に長いんですが、この橋が品川宿の真ん中にあります。
看板の説明によると、この橋を境に北品川と南品川に町が別れていたそうです。おそらくかつての旅人も、この宿場長いな、ここで真ん中かよ、と思っていたのかもしれませんね。
幕府関連者が利用した釜屋
このマンションのような建物の前が釜屋さんになります。分からなかったので一回通り過ぎてしまいました。
鉄板で記念碑が作られているんですが、ここも消えかかっていますね。かなり見えなくなってますが、この写真でも見える「誠」の文字。新撰組の土方歳三らも利用していた宿だそうです。
品川宿の北の宿で尊王の志士たちが、南の宿で幕府側が宿泊していたという事実もなんだか面白いなと思います。
そして品川宿を離れ次の宿場へ
この辺りが品川宿の終わりになるそうです。宿場の名残があるかと言われれば古い建物が残っているわけでもないので、違うと言わざる得ないのかなと思います。けれど、商店街の街並み、人々の活気などが独特の宿場感を生み出しているんですよね。このあと様々な宿場町を越えるたびにいろんな体験して行くことになります。
つづく
“東海道五十三次day1-③品川宿から川崎宿まで”
“東海道五十三次day1-①日本橋を出発”
“東海道五十三次day1まとめ・距離・時間・ルート・予算”
“東海道五十三次の旅「日本橋から京都」全行程まとめ!”