前日は22時を過ぎてから吉田宿に到着したブロンプトン東海道五十三次の旅。7日目は吉田宿からスタートし、名古屋まで一気に駆け抜ける予定です。ただこの日の朝も少しのんびりしてしまい(爆睡してただけ・・・)、出発時間が10:00すぎに。
「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」と言われていたくらい、本日の出発地・吉田宿、これから訪れる御油宿、赤坂宿は旅籠が多く、飯盛女(接客してくれる女性)も多かったそうです。素敵な出会いもあるかな?と思いつつ、自転車を漕ぎ出しました。
ルート案内「10kmの丘越えコース」
吉田宿から御油宿の間は約10kmの丘越えコースです。といってもそんなに高い丘ではない上に、ほぼ直線のルート。新しい道に遮られているところを迂回して、分岐点さえ間違えなければスムーズに進めます。
見所は御油宿直前の河原でしょうか。春に行ったからというのもあると思いますが、ホッと心が安らぐ風景でした。
※ここも前半、アプリでトレースできていなかったため後から書き足しました。
吉田宿を出発
ネットカフェで朝食をとった後、昨日のゴール吉田宿の本陣前に到着。
夜はわからなかったんですが、丸よというウナギ屋さんの前に大きな本陣跡の碑文がありました。
碑文の下に説明書きがありました。ここの本陣は江戸屋さんというところが経営してたみたいですね。他にも吉田宿の説明が書かれていました。
そしてこの辺りが吉田宿の京方見附跡です。ここから、次の宿場への旅がはじまります。
浮世絵 吉田宿
この吉田宿の浮世絵は、宿場を出たところにある豊川とそこにかかる豊橋。そして工事中の吉田城です。空を飛ばないと描けないファンタジー構図ですね。
とりあえず川のそばから豊橋を撮影して見ました。角度的にはこんな感じですね。
橋とは反対側の方向を撮影。右岸の緑地が吉田城の方向です。ここもかなり圧縮構図で描かれた絵ですね。
豊橋を渡る
静岡には橋がない大きな川が多かったようですが、ここには昔から大きな豊橋がかけられていたため、昔から名所だったそうです。だから町の名前も吉田ではなく、豊橋にしたんでしょうか。
豊橋の上から一枚。いやあいい天気ですね。
豊橋を渡った向こう側です。現在の豊橋は昔と比べて南東側にかかっているので、当時はこの辺りに豊橋がかかっていたようです。
この先の道で、東海道は川沿いを離れ内陸側に進んでいきます。
下地一里塚跡
豊川から少し入ったところにあるのが、下地の一里塚跡です。お墓方式ですね。
裏を見ると江戸日本橋から七十四里。思えば遠くまで来たものです。
北西へ進む
県道496号線を北上します。ここは豊川放水路にかかる橋。歩道がない橋なのでちょっと危ないですが、慎重に進みます。
信号待ちで止まった才ノ木南という国道496号線の交差点です。この先に丘があり、そこを乗り越えます。非常に緩やかな坂なのでブロンプトンでも楽に乗り越えられます。
丘を越えたところにある県道373号線との交差点です。まだ496号線を直進します。
伊ノ奈一里塚跡
先ほどの交差点から少し進んだところに山本太鼓店というお店があります。この建物の左側、道路に面したところに一里塚があります。
これが一里塚の跡ですね。お墓方式です。
お店の中を少し覗いてみましたが和太鼓のお店なんですね。かなりいろんな種類の太鼓を作ってるのでゆっくり見たかったのですが、ここで時間をつぶすと大変なので先へ急ぎます。
豊川桜町というところまで来たところ。道の端に、ちょっとした花壇がありました。
なかなかキレイな花が咲いていたので、記念に一枚。
豊川白鳥にある山桃という交差点です。このあたりは工業地帯のようです。
まっすぐ行くと、東三河環状線の高架下で道路は遮られています。この向こう側に道は続いているので、迂回して先へ進みます。
先ほどの高架から少し進むと、久々に国道1号線と合流。大きくてキレイな道です。さすが自動車王国だなと思いました。
名鉄名古屋本線の上を通ってその先へ。
しばらく国道1号線を北西へ進みます。
国府町薮下という交差点で国道1号線は分岐。左の道へ入ります。
豊川国府という街の中に入っていきます。江戸時代は御油宿が栄えていたそうですが、鉄道の駅から外れてしまい、こちらの豊川国府に町の機能が移転したそうです。
大社神社前。神社を中心に道が左右に分かれています。ここの分岐を左へ。ちょっと行った先に御油の一里塚があったそうですが、目印等を見つけることが出来ませんでした。
そのまま道なりに進むと音羽川にかかる橋にぶち当たります。ここを渡ったところが御油宿です。
御油宿に到着
この橋の向こうが御油宿。いい感じのレトロ感がある橋ですね。
橋の上から川を撮影。水も緑も豊かな土地です。
浮世絵 御油宿
御油宿の浮世絵は、もちろん有名な宿場の雰囲気。旅人が客引きに捕まってますw昔の歌舞伎町もビックリの強引さです。
モデルになったところです。残念ながら、当時の華やかな面影はなく、田舎の集落になっています。
宿場内を進むと、ところ所にこのような看板が。
歴史的な建造物は残されていないため、このような看板で宿場を再現しているようです。
広重の絵も看板にして設置されていました。
ここの宿場は川に沿うような形で大きなクランクを描いて街道が通っています。何もなかったので通り過ぎそうでしたが、このイチビキという会社の場所が本陣後だそうです。
この辺りが御油宿の京方見附跡。かつての反映はないですが、落ち着いた町でした。
この御油宿から出た先には美しい松並木があるそうです。それを楽しみにしながら、
次の宿場へと進みます。
つづく
“東海道五十三次day7-②御油宿から赤坂宿まで”
“東海道五十三次day6-⑧二川宿から吉田宿まで”
“東海道五十三次day7まとめ・距離・時間・ルート・予算”
“東海道五十三次の旅「日本橋から京都」全行程まとめ!”