ブロンプトン東海道五十三次の旅day4もいよいよ後半戦。由比宿でちょっとのんびりしたいなとも思ったんですが、先を急ぐために素早く立ち去りました。なぜなら、この先に今日の一番の難関、薩埵峠があるからです。
目次
ルート案内「10kmの峠越えコース」
由比宿と興津宿の間は、薩埵峠という急峻な峠を越えるコースです。急坂を登って降りるのでかなり大変です。またガードレールがないので、眺めに見惚れて崖から落ちないように注意してください。見所はやはり薩埵峠からの景色。天気が良ければ伊豆半島、駿河湾、富士山を一望できます。
由比宿を出発
由比宿を出ると、すぐに由比川にかかる橋を渡ります。
橋を渡った街並みです。ちょっとした商店が並びます。
この東海道沿いにある春埜製菓で売られているたまご餅が東海道中膝栗毛にも登場する由比名物さとう餅らしいのですが、なんと店が閉まってた・・・今日は行く店行く店が開いてないんですよね。進行速度は速いんですが。
海辺の漁師町って感じの街並みを見ながら進むと、東海道はさらに細い道に入って行きます。
細い道を峠に向かって進む
家と家の間の細道を進んでいきます。今までで一番の細道かも。
細い道を抜けて、交通量の多い県道396号線に出ます。
かなり交通量が多く側道が狭いので自転車は要注意!
しばらく進むと、県道396号線を離れ、右手に見える歩道橋の奥にある細い道へ。そちらに入る前に正面の道路標識を見てみました。
薩埵峠という文字が、今日はここさえ越えればOK!と思っていた目標です。
旧東海道を進む
さて先ほどの歩道橋から細い道に入ると、古い民家が続く東海道らしい街並みに。
この地域で長年名主を務めた小池家の邸宅らしいです。東海道の名主の館と書かれていたので江戸時代からのお家かなと思ったら明治に建てられた家だそう。使用している東海道アプリに出てこなかった理由はこれですね。
説明文を読むと建てられたのは明治ですが、建物の構造が江戸時代の名主宅の面影を残しているそうです。
いい感じのお庭もあるので中を見てみたかったんですが、先を急ぐためそのまま進みます。
左手に海を見ながら、徐々に峠に向かって登って行きます。
薩埵峠の登り口 間の宿・西倉沢
由比宿から興津宿の間は峠があるため、間の宿・西倉沢があります。例によって本陣を撮り忘れ、写真は脇本陣・柏屋。
説明文によると明治天皇がここで休憩されたらしいです。それにしても明治天皇の記念碑は東海道上に多いですね。
薩埵峠の登りへ
目の前に急坂が見えて来ました。ここが薩埵峠の入り口です。ここからはブロンプトンを押しながら歩きます。ちなみにこの辺りに一里塚があったんですが、記念碑などが見当たらず・・・
峠道の両側はみかん畑、傾斜のキツイ坂道をゆっくりと登って行きます。
後ろを振り返ってみると、相模湾と伊豆半島が。ちょっと霞んでいるのが残念。
道の横に、美味しそうなみかんが実っています。取れそうですが、泥棒はダメ。
道は細く、左側は急斜面にみかん畑。こんな急斜面で作業するなんて、みかん農家さん命がけですね。
崖の下を見ると高速、一般道、JRが一本にまとまって進んでいます。今も昔も、ここは交通の要所だとわかります。
後ろを振り返ると富士山が微かに見えます。東海道五十三次で有名な構図に近いですね。そちらはもう少し頂上から撮った写真のところでご紹介します。
みかん畑を進むとだんだん坂が緩やかになってきました。頂上がだいぶん近づいてきたようです。
薩埵峠の頂上へ
そしてついに頂上に到着しました。ここで軽く記念撮影を。
浮世絵 由比宿
東海道五十三次・由比の絵は、薩埵峠から見える富士山。かなり有名な絵なので見たことがある人も多いと思います。
実際に薩埵峠から見た富士山です。かなり霞んでいますが、浮世絵と同じくらいの角度で上手く撮れました。
薩埵峠を一気にくだる
薩埵峠の下りは山道だったため迂回することにしました。後から地図を確認したら自転車を担いで歩けるくらいの距離だったのでそちらを通ればよかったです。写真の目の前に見えるところが坂のてっぺん。ここから一気に峠を下ります。
高速の横の道を一気に降って行きます。
降り切ったところの交差点です。ここから南に進路を変えて、東海道の本道に近づきます。
ただこの辺りは昔の道が消えているため、正確には迂回する新しい道に戻る道です。
かなり南まできたところで西へ進路を変更し、興津川を渡ります。この川のところが、興津宿の浮世絵のモデルになったところです。
浮絵絵 興津宿
興津宿の浮世絵はこの興津川を渡る力士です。籠の担ぎ手が大きな力士を必死になって運んでいますね。
現在の興津川です。古い橋とJRの鉄橋。その下が興津川ですね。風景は変わりましたが、今も川は流れ続けています。
ここで薩埵峠の方角を振り返って見ると、もう富士山は見えませんでした。思えば急激に登って急激に降る「峠」という文字の意味がわかった気がします。
興津川を渡ると旧街道を求めて住宅街に突入。このあたりの道から旧街道が復活しています。
しばらく住宅街を進むと、久々に国道1号線と合流。もうまもなく興津宿にたどり着きます。
興津宿に到着
国道をまっすぐ進むと、そのまま興津宿に到着です。この辺りが江戸見附あと。
宿場内を進むと一本の木があり、そこに木の立て札が。
この木は、ワシントンに贈られた桜と兄弟らしいです。東海道は人通りの多い道なので、明治以降もいろんな記念碑などが建てられています。
興津一里塚跡
宿場内を進むと一里塚跡があります。探してみると、この工場のような家の真ん中に石碑が。このあたりの一里塚跡はわかりづらいです。
本陣跡
ここが興津の本陣跡です。今は公園のようになっていますね。
案内板によると興津宿には他にも色々見所があるんですが、先を急ぐので今回は諦めます。
そしてこの辺りが京方見附跡。どんどん夕暮れに近づいています。今日はあとどのくらい進めるのかと考えながら、次の江尻宿へと向かいました。
つづく
“東海道五十三次day4-⑦興津宿から江尻宿まで”
“東海道五十三次day4-⑤蒲原宿から由比宿まで”
“東海道五十三次day4まとめ・距離・時間・ルート・予算”
“東海道五十三次の旅「日本橋から京都」全行程まとめ!”