三島らからかなり順調に原宿までたどり着いたブロンプトンで東海道五十三次の旅day4。原宿ではほとんど滞在せず、すぐに出発。次の吉原宿へと向かいます。
目次
ルート案内「12kmの平坦だけど複雑なコース」
吉原宿と原宿の間は、12kmとなかなかの距離がある平坦なコースです。ただJRを何度も横断したり道が何度も分かれたりして少しルートが複雑。また田子の浦周辺が工業地帯のためかなり大きなトラックが通ります。また吉原宿は高潮で何度も被害を受けた影響で徐々に内陸へと移動したため、最後は西から北へ進むことになります。
かなり工業化された地域のため東海道の名残は少しですが、見所としては富士川の戦いの古戦場跡かなと。歴史の教科書で見たことがあるだけに、感慨深いものがありました。
原一本松一里塚
原宿から出発するといきなり出てくるのが、原宿の近くにあった一里塚跡です。この記念碑が一里塚が存在した証となっています。
記念碑の案内板の拡大です。特にここの一里塚の特徴が書かれているわけでもないです。
観光客が多いからでしょうか、補足の資料が足されてました。
浮世絵 原宿
次に現れるのが原宿の浮世絵のモデルとされる場所です。浅間愛鷹神社の周辺から朝の富士山を見た情景だそうです。
周辺でいい角度で富士山が見えるところを探したのですが、あいにくの曇り空で富士山を確認することができませんでした。だいたいこの辺りが現在の場所です。
再び住宅街の旧東海道を進む
住宅街の真ん中を通る県道163号線を走ります。三島からほとんど平地なのでかなり快適!
JRを再び渡ります。今日はJRを何度かまたぐことになりそうですね。
住宅街を進んでいると富士市の看板が。かなり調子よく進んでますね。
うまいラーメンショップ!という看板の店があるところで、交通量の多い県道380号線と合流です。
間の宿 柏原
原宿と吉原宿の間に設けられた間の宿・柏原です。平安時代から続く宿場だったようですが、江戸の頃は茶屋が中心で、うなぎの蒲焼が有名だったそうです。
放水路と一里塚
柏原から少し進むと住宅街の中に林が現れました。
人工のまっすぐな川、放水路のようです。
この放水路を最初に計画したのがこの銅像の増田平四郎という方で、この水路をスイホシと呼ばれていたそうです。干拓で水を干すからでしょうか。
大飢饉や水害などを経験して大きな沼の干拓を幕府に何度も願い出てようやく工事をしたそうです。ただ増田さんの事業はうまくいかなかったようで、その後、その意思を受け継いだ人々が完成させたそうです。いまの水路は昭和になって同じ場所に作られたそうです。
沼田新田一里塚
この増田さんの像のあたりに昔は一里塚があったそうです。沼田新田と名前がついていたので干拓で土地を広げていたところなんでしょうね。
幹線道路を離れ、旧東海道へ
比較的大きな道を通ってきたんですが、左の脇道、県道170号線へ。
旧街道の趣がある細い住宅街の道を進みます。道の先に大きな煙突が見えてきました。
ちょっと道を離れて高台から撮影。地図で見ると田子ノ浦ですね。百人一首で出てくる田子ノ浦は工業地帯になっていました。今は白波も見えないんでしょうね。
この先に東海道はつながっているんですが、JR線に寸断されています。手前に遮断機があるので、そちらから回って線路の北側へ。
線路を渡るとJR吉原駅の北側に出ます。吉原は高潮の被害などで北へと移動したため、この辺りから街道は北へと向かいます。
田子の浦に流れ込む沼川にかかる河合橋を渡り北へ。
橋の上から田子ノ浦方面を撮影しましたが、やっぱり工場しかないですね。
河合橋を渡ってすぐに分かれ道があります。東海道は左の方に曲がっていく県道171号線へ。
井田橋西の交差点で北の細い道、そのまま県道171号線を進みます。この辺りは道が少し複雑です。
井田橋一里塚
依田橋西の交差点から北にしばらく行ったところに依田橋の一里塚があります。記念碑には依田橋村の一里塚と書かれていますね。
説明文によると吉原宿は高潮などによって打撃を受けるたびに場所を移動しており、その都度、一里塚の場所も移動していたようです。
この地域は一里塚と共に違う記念碑を置く文化でもあるんでしょうか。ここには少し古い記念碑がありました。
漢文なんでよくわかりませんが、どうもこの辺りの治水を担当した人の碑文のようです。
浮世絵 吉原宿
一里塚から少し行ったところに松並木が少し残っています。ここが吉原宿の浮世絵のモデルとなった場所です。
街道を西に進むとだいたい富士山が右に見えるんですが、ここでは街道が北に進むため左富士山に見える場所だったそうです。
案内板によると現在は松の木が残るのみとなっています。
富士川の戦い古戦場
ずっと北に向かっていた街道が、この橋のところで西へと向きを変えます。平家越え橋という名前です。
橋の脇に記念碑が立っていました。
説明文を読んでいると、ここは源平合戦で有名な富士川の戦いの舞台だったそうです。当時は広い湿地帯だったんでしょうね。
吉原宿に到着
平家越え橋を渡ってしばらくいくと、吉原宿に到着します。この写真の辺りが吉原宿の江戸見附です。
宿場内は、現在、商店街になっています。
吉原宿と書いてある旅館の前で記念撮影。素泊まり3000円ほど、安いw
お昼ご飯はつけナポリタン
吉原では地元の喫茶店がはじめた「つけナポリンタン」がご当地B級グルメとして有名です。町おこしとしていろんなお店でやってるらしく案内所で伺ったんですが、平日だったため発祥の喫茶店は定休日。紹介してもらったのが、御幸屋さんという鉄板焼き屋さんです。
これがつけナポリンタン。
トマト味のスープに
炒めた太めのパスタをつけて食べます。朝から走りっぱなしだったので美味しかったです。
本陣跡
商店街の中ほど、写真の辺りが本陣跡です。
商店街抜けてしばらく進んだ住宅街の交差点。ここが吉原宿の京方見附です。お腹も満たされたので、ちょっと休憩と行きたいところですが、できるだけ先へ進みたいので、急いで次の蒲原宿を目指します。
つづく
“東海道五十三次day4-④吉原宿から菅原宿まで”
“東海道五十三次day4-②沼津宿から原宿まで”
“東海道五十三次day4まとめ・距離・時間・ルート・予算”
“東海道五十三次の旅「日本橋から京都」全行程まとめ!”