前日は鈴鹿峠を越え、一気に滋賀県を横断。大津宿までたどり着きました。
実家に宿泊し、洗濯物等を置いて荷物を軽量化。ゴールの京師・三条を目指してブロンプトン東海道五十三次の旅day11、はじまります。
目次
ルート案内「12kmのダブル丘越えコース」
大津宿から京師(京都三条)までのコースは2つの丘を越えるロングコースです。詳しくは、下記のまとめ記事をご覧ください。
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“東海道五十三次day11まとめ・距離・時間・ルート・予算”
松尾芭蕉の墓がある義仲寺
前日、暗すぎて見えなかった名所から。こちらが義仲寺。源義経・範頼に敗れた木曾義仲のお墓があるお寺です。
昔はこのお寺の前が琵琶湖岸だったため、景色がとても美しく、芭蕉はここに埋葬されることを願ったといいます。実は中に入ったことがありません。小さい寺なのに拝観料がいるんですよね。
大津事件の現場
ここは大津のど真ん中、中央というところで、東海道上で起こった歴史的事件の現場でもあります。この場所で、ロシア皇太子を警備のおまわりさんが斬りつけるという大津事件が起こりました。
大津事件は、その後の裁判で様々な圧力を受けながらも法律に基づいて犯人を裁いたことから、司法の独立を守った事件としても有名です。
そして大津宿を出発
そして昨日のゴールだった大津宿の本陣跡へ到着。いよいよ東海道五十三次・最後の旅がスタートです。
この付近が大津宿の京方見附。このまま坂を登って、大坂山へ向かいます。
国道1号線と合流
東海道は国道1号線と合流。逢坂の関へと向かいます。
蝉丸神社
逢坂山への上り坂にある神社が、こちらの蝉丸神社です。
百人一首でお馴染みの「逢坂の関」の歌を詠んだ蝉丸もお祀りしているのでこの名前ですが、実は神話にも出てくる歴史が古い神社。上社と下社に分かれています。こちらは上社です。
こちらが逢坂山の国道1号線。今は切り開いて2車線になっていますが、昔は谷を通る道だったそうです。
頂上から少し降りてきたところに逢坂の関跡の碑文があります。ここは古くから交通の要所で関所が設けられていました。
大谷の集落へ
この関所跡があるところから旧東海道は少しだけ国道1号線から分岐します。右の谷間にある大谷の集落へ。こちらは、かかつて茶屋が集まっていたところで、飲食店などが今も営業している場所です。
橋があるように見えますが、下は京阪電車の線路です。この電車に乗ると京都三条まで20分くらいで行けます。
大谷の集落の中に、先ほどの蝉丸神社の下社があります。
現在の大谷の集落、昔は茶屋が並んでいたそうですが、現在はひっそりとした住宅街です。
浮世絵 大津宿
この大谷が、大津宿の浮世絵のモデルです。
街道沿いに並ぶ茶屋と、荷物を運ぶ牛車が描かれています。左端に水が湧き出ている井戸がありますが、こちらは近くにある月心寺に移築されているそうです。
現在はこんな感じの風景です。あまりこの辺りに来たことがないので、今度ゆっくり来てみたいです。
浮世絵のモデルの反対側。ここの名物だった走井餅の石碑があります。
この集落を過ぎると、京阪電車の遮断機を渡って、再び国道1号線に合流です。この先に走井の一里塚跡があったそうなんですが、痕跡がありません。
逢坂山をだいぶん降りてきたところ。上は名神高速道路です。
追分から山科
この追分の歩道橋の手前で国道1号線と分岐。左の旧街道を進みます。
そしてしばらく進むと、追分という名前の通り、街道の分岐点が現れます。道標が立っていますね。
こちらが道標の拡大。左に行くと伏見街道。右に行くと東海道で京都です。
看板によると、このあたりは様々な街道が交錯する場所だったため、かなり栄えていたようです。
先ほどの追分から少し進んだところ。閑栖寺の前に石が置いてあります。
東海道の大津〜京都間は牛車の通行を楽にするために、花崗岩が敷き詰められていたそうです。これは記念に残された石のひとつ。
しばらく進むと、東海道は国道1号線とぶつかります。1号線の向こう側が東海道なんですが、ここでは横断できないので迂回します。
こちらが国道1号線を渡ったところです。壁に何か貼られていますね。
貼られていたのは、旧街道のマップでした。
このマップを眺めていると、おっさんに「どこまで行くのか?」と聞かれました。「大津から京都に行くんです」っ言ったら、「近いな他の子はもっと遠くまで行くで」と言われたので、いやいや僕は東京からチャリで来てんねんと思いましたが、言わないでおきました。
先ほどのところから少し進むと道標がありました。こちらは、逢坂山とは違うルートで、大津の三井寺に出られる山道を案内しています。
そして、ついに京都市へ突入!いよいよゴールが近づいてきました。
山科という町に到着です。こちらは、赤穂浪士の打ち入りでお馴染みの大石蔵助が隠れ住んでいたところです。
この山科にある道標です。五条や六条に行く道と、三条に行く道の分かれ目でした。
山科駅もを通過してしばらく進むと、東海道は府道143号線と合流。前にあるJRの高架を潜って進みます。
最後の登り坂!
先程の高架を潜って出てきたところです。ここで東海道は左の細い道へ。
このあたりは御陵と言います。近くに天智天皇のお墓があるんです。
そして、この写真のあたりに最後の一里塚があったようなのですが、全く痕跡がありませんw 滋賀・京都は、一里塚が全部ないんですよね。さっさと新しい時代に対応する関西人らしい対応です。
こちらが東海道で最後の坂道。ここを登り切れば、あとは降るだけ。京都まで一直線です。
急坂はひと段落。住宅街の間を通る細い道を進みます。
そして再び府道143号線に合流。ここを越えれば、後はこの道をまっすぐ三条まで降っていくだけです。
一気に三条へ
下り坂の途中、蹴上というところです。ここにはいろいろな見所があります。
こちらにインクラインと言って船を運ぶ鉄道です。
明治に琵琶湖から水を引く疏水を作り、水だけでなく、舟で荷運びもしていました。ただ疏水と京都市内に高低差があったため、この鉄道に船を載せて京都市内の水路に運んでいました。動力は電力です。
今は使われていませんが、このように観光用に船が置いてあります。
こちらが琵琶湖疎水の落差を生かして発電する、日本初の営業用水力発電所です。ここの電力で日本初の市電も動いてました。
そしてこの近くにあるのが都ホテル。京都では伝統あるホテルで、いいとこの子はここで披露宴をします。現在はウエスティンのグループが経営しています。
坂を下り切ったところ、この辺りが東山です。北に行くと平安神宮や動物園があります。
左手に土下座してるおっさんの銅像が見えてきました。この先が三条です。
これは土下座像と呼ばれていて、待ち合わせ場所によく使ってました(渋谷のハチ公みたいに)。
正式名は高山彦九郎像で、尊王思想家で吉田松陰なんかにも影響を与えたという人物らしいです。御所に向かってご挨拶をしている姿らしく、土下座してるのではないそうです。
浮世絵 京師
京都の浮世絵は鴨川にかかる三条大橋。清水寺が描かれいてるので、西から南を見た景色だと思います。
西側は建物が立っていて撮影が難しいので、東側から橋を撮影しました。日本橋から始まった旅もいよいよ終わりです!
ちなみに撮影した場所に駅伝発祥の地の記念碑もありました。
ついに東海道制覇!!
そして三条大橋を渡り、ゴール!弥次喜多の銅像と記念撮影です。日本橋をスタートした時は、まさか京都まで来れるなんて思っていませんでした。
近くにいたおばちゃんに記念撮影を頼むと、どこからきたのか聞かれました。「日本橋です」と言ったら、大阪の日本橋だと思われましたがw
まさか東京から折り畳み自転車で来るなんて思わないですよね。
三条・河原町周辺を散策
この日、お天気が午後から崩れるとのことだったので、急いでご飯を食べにきます。こちらは木屋町という歓楽街です。ちょっとした飲み屋やおねーさんがいるお店が多いです。
食べたのが、木屋町の入り口にある「みよし」の豚骨ラーメン。
九州の奴が言うには「博多とは味が違うけど、ここはここで美味い!」とのことでした。僕は高校の時に初めて食べてから、この辺りに来ると必ず食べています。甘みのある豚骨ソープが特徴的で、ピリ辛のシナチクがアクセントになって美味いです。
お腹も満足したので、三条周辺を散策します。
こちらが三条通りにある池田屋事件があった池田屋跡。現在は華の舞です。中は階段があったりと映画で見る池田屋っぽい居酒屋になっていますよ。友だちと1回行きましたが、メニューは華の舞です。
こちらは池田屋から近いところにある海援隊の事務所があったところです。
河原町に出てきました。かっぱ寿司になってますが、坂本龍馬が暗殺された近江屋さん跡。呪いなのか、僕が知ってるだけでも3回くらいテナントが変わってます。
こちらは三条通り商店街。
刃物屋さん。菊一文字って書いてるのが昔から気になってます。
こちらはアニメ・けいおんで出てくるムギちゃんの家の楽器屋のモデル、十字屋さんです。
母はエレクトーン講師として、僕は楽器のリペアでお世話になりました。親父の友達がここに勤めていて、気付いたらいろんなオーディオ機器を買わされていました。家族全員でお布施している楽器屋さんです。
十字屋さんの前にあるお蕎麦屋さん。田毎。なぜか我が家は行くことが多かったです。衣笠という「きつねとじ蕎麦」がおすすめです。
こちらが新京極通り。修学旅行生が土産物を買ったり、ファッション系の小さなお店が並ぶ通りです。
左手のゲーセンが予備校時代よく通ったところ。今はプリクラとプライズゲームが中心になっています。
カンザシなんかも売ってますよ。
こちらが新京極の南にある寺町。ちょっと落ちついた大人の商店街です。
三条通と寺町の交差するところにあるすき焼き屋さん三島亭。超美味しいらしいです。一度食べてみたい。
この寺町を御池の方へ進むと織田信長でお馴染みの本能寺があります。三条周辺は、狭い範囲で教科書に載ってる歴史的な現場を巡れるので面白いですよ。
こちらは寺町にある鳥居。壁にめり込んでいるので有名です。
ちょっと休憩しようと思って甘味茶屋へ。こちら河原町の梅園は、祖父が好きで、ドラえもんの映画なんかを観た帰りに連れて行ってもらってました。
子どもの頃はよくかき氷を食べていましたが、名物はこちらのみたらし団子です。ようやく東海道っぽい茶屋にきましたね。
甘味茶屋を出ると、雨がパラパラと降り始めました。この旅では、箱根でずぶ濡れになった以外は、ほとんど雨に出会いませんでした。
天気にも恵まれていた東海道五十三次の旅は、ここで終了です。今日は京阪電車で滋賀県の実家に宿泊。翌日は彦根の後輩に会ってから、東京へと帰京します。
つづく
“自転車で東海道五十三次の旅(輪行・番外編)彦根・帰京篇”
“東海道五十三次day10-⑦草津宿から大津宿まで”
“東海道五十三次day11まとめ・距離・時間・ルート・予算”
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